善波峠の矢倉沢の立て札には、かって東海道の脇往還として厚木、伊勢原、秦野、関本をぬけ足柄峠を越え駿州までのびていたと、また大山への参拝路として多く利用され大山街道とも呼ばれていた、さらに十日市場(秦野村)の市が立つ日の物資運搬の道としても大きな役割を果たしていたと記されている。今、このひんやりとした山あいの木陰に立っていると遠く昔の人々の往来が嘘のような静けさだ。往時のものか石仏が五つ、二体は首がなく代わりに小石が丁度よく乗せられていた。